稲田悦子物語

著・梅田香子 YOKO UMEDA

第13章 駐在員夫人の贈り物

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どうにかベルリンの町にも馴れてきた。

「お父ちゃん、あの星はどういう意味なんやろ?流行もの?」

ときたま左胸に大きな星のワッペンを付けている人に会う。「さあ、でも、あの星をつけている人たちは、なんだか暗い表情をしているね」

日本の新聞記者に質問してみたところ、

「あの星はヒトラーの命令で、ユダヤ人だけが強制的につけさせられているのです。彼らは何も悪いことをしていないのに。」

悦子は目を丸くする。

ユダヤ人てどこの国の方なのでしょう?神戸のおいしいパン屋さん、ユダヤ人家庭の方たちでしたわ」

ユダヤ人というのはユダヤ教を信仰している人たちで、ドイツ人にもフランス人にもソ連にも世界中どこにだっていますよ。勤勉な努力家が多いので、お金持ちになったユダヤ人がたくさんいます。ヒトラードイツ国民に前の戦争(第一次世界大戦)で負けて、国が破たんしたのはユダヤ人のせいだ、という迷信を信じ込ませてしまったのです。公園やスケート場のベンチにも、よくドイツ語で警告が書いてあるでしょう。あれは“ユダヤ人は座るな”と書いてあるんですよ。」

オリンピック開催の前年、ヒトラーが公布したニュールンベルク法で、ユダヤ人は市民権をはく奪された。そういえば、町の至るところに、「ユダヤ人を抹殺せよ」というポスターが貼られている。オリンピックの宣伝と両方が印刷されているものもあった。

IOCもこれには厳重抗議。夏のベルリン五輪までには一時的に撤去された。

ヨーロッパ選手権、悦子は10位で終わった。

規定演技で前半飛ばしすぎ、後半は足がばててしまった。

氷上に描く予定の図形が、ミリ単位でゆがんでしまう。

得意中の得意、ダブルスリー・チェンジがいつもの出来ではなく、エッジが内側に倒れすぎた。

トレースの美しさと合致、エッジワークの巧みさでは、さほど見劣りはしない。

ところが、身長125センチは一人だけなのでスピードに欠けてしまう。

湿気が多い日本の氷より、感触が固く、表面がつるつるして、鏡のようだ。

一歩一歩、いつもより深く氷をとらえるまで、時間がかかった。

それでも、フリーは意識してスピードに気をつけたので、11位から9位に順位をあげることができたのだ。

 

「まわりがみんな私のことを知らないから、緊張なんてしませんでした。お客がみんなダイコンかニンジンに思えました」(稲田悦子公式コメント)

 

ヨーロッパ選手権を終えた後、本番のオリンピックまで約3週間。

井上康次郎参事官や三菱商事支店長夫人の渡辺徳子、三井物産支店長夫人の綾井章子、大倉商事支店長夫人の加藤節子らベルリン婦人会が中心になり、悦子にオリンピック用のドレスをプレゼントすることにした。

悦ちゃんはとても上手なのに、やっぱりドレスでヨーロッパの選手より見劣りしていたような気がしますわ」

「私もそう思っていました。子供らしい素朴さがいいと最初は思いましたけれど、競争相手はみんな大人の女性ばかりなのですから」

「私たちで新しいドレスを注文してさしあげましょうよ」

ベルリンの支店長クラスの駐在員夫人たちは、日ごろから日本人として恥ずかしくない服装をするため、苦労していた。ときには船でマルセーユまで出向き、パリに立ち寄って夜会服を注文したり、あるいは仕立て屋を呼び寄せたりもした。

 このとき、彼女たちはパリのデザイナーに注文して、

「オリンピックで着たいのです。お願いします!」

と大急ぎで仕上げてもらった。

スカートの裾と丸エリにフリルで縁取る。腰のベルトにはカーネーションの花をあしらう。胸には日の丸をぬいつけ。表地は光沢のある白の絹。裏地は日の丸を意識して赤いものにした。

同じ布でベレー帽もつくった。これは回転すると遠心力で飛んでしまう恐れがあったので、白地の布に赤い線を1本入れたヘアバンドを急きょ作った。

このドレスは、現在、秩父宮スポーツ博物館に展示されている。

 

ヨーロッパ選手権で優勝したのは大方の予想どおり、ソニア・ヘニーだった。

ソニア・ヘニー。1912年、ノルウェーのオセロ生まれ。裕福な毛皮商人の家庭で、何不自由なく育つ。父親のヴィルヘルムは1894年の世界選手権自転車競技大会トラックレースで優勝経験があり、ソニアのマネージャーを勤め、すでにハリウッドで銀幕デビューする手はずは整っている。

ソニアは今季かぎりで競技会から退き、プロ転向を公言していた。すでにオリンピックで連続2回金メダル、世界選手権は連続9回制覇という栄光を獲得ずみだ。

当時ソニアの知名度は相当なもので、天才美少女として世界中に轟かせ、日本の雑誌の表紙も飾っていた。

ソニアの強みはコンパルソリ・スクール・フィギュアが安定していること。大技はない。が、失敗が少なく、安定感は抜群だった。

自由演技はともかくチャーミングで、あでやかなのだ。

見る人はまずスピード感に圧倒される。ほとんどスローパートを入れず、伸びのあるスケーティングで5分間走りっぱなし。

途中つま先で急にストップして、トウで立って見せたり、トウだけでパタパタと走る振付がかわいらしい。

ティンカーベル、あるいは氷上の天使と表現された。

スパイラルは健康美と躍動感にあふれていた。前だけではなく、後ろの方向にもかなり長い距離で滑る。

スピンの種類は多くない。座りながらのシットスピンとキャメルスピン、それから基本のスタンドスピンからの高速ストレッチスピン。ジャンプはすべて一回転だった。

五輪初出場のとき、ワンピースのドレスコートをかわいらしく着こなし、丸い帽子を深くかぶっていた。

年を追うごとにスカートが短くなって、最後はかろうじてお尻を隠すだけの長さになった。ふわふわの毛皮がミニ丈のスカートの裾をぐるり囲んだスケートドレスが、ファッション界に与えた影響は大きかった。

さらにそれまではスケート靴はブーツの部分は黒だったのに、彼女は真っ白なスケート靴をはいた。これも「天使のようだ」と大評判になった。

いずれにせよ、衣服のセンスがスカートの長さをめぐってこれほど論争を呼ぶスポーツも珍しかった。ウィンタースポーツなのに、レオタード姿とミニスカートが戦闘着なのだ。他にこんなスポーツは考えられない。人気が出ないほうがおかしかった。